| 宗像窯 |
| 【むなかたがま】 |
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鉄釈流し掛け大壺
時代 江戸期
作者 宗像窯
法量 高さ 60.0cm
胴径 150.0cm
口径 27.0cm |
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先祖宗像出雲守式部は福岡県生れの宗像宮の布教師であった。古くはこれら布教師の生計は自らの工夫によって得なければならなかったので、出雲守式部はこれを製陶業とし、備前焼で修行し、体得した。
東北地方を目指した出雲守は会津本郷の陶業を見聞し、自己の技術も生かすことができ、布教活動にも好適と考え、宗像神社を建立して、布教活動をはじめると共にその生計を陶業に依存。この窯元の先祖がこの地にきてから約百年間は布教が主で陶業は生計のたしであった。文政の頃(1818〜29)当主となった八郎秀延は陶業の技術に優れ、神官を辞して宗像窯を創設し、本格的に製陶業を始めました。これが宗像窯の初代。
かくしてこの窯元にも栄枯盛衰もありましたが5代目の豊喜は特に技術的に優れ、この窯元を隆盛に導き、6代目豊意の時代には民芸家柳宗悦・陶芸家浜田庄らの激励を受け、当主および長男亮一が一層焼き物づくりに精進して昭和33年ブリュッセルの万国博覧会でグランプリを獲得する快挙をなしとげた。 |
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| 宗像蒲参考ページ |
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| 富三窯 |
| 【とみぞうがま】 |
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花草文四段重
時代 明治中期
法量 高さ 29.0B
竪 16.0B 横 16.0B |
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富三窯は会津焼川南窯として御弓新田(現新町の一地区で1634年会津藩主保科正之公が弓隊をこの地に配し開拓させた集落地)に現存する唯一の磁器の窯となり川南窯随一の名窯扇寿軒佐竹富太郎の次男富三郎が明治5年(1872)、分家して富三窯を開窯した。
明治、大正、昭和にかけて当時の文豪俳人等と交流があり、遺作資料等が数多く残されている。瀬戸細工場の建物は江戸時代後期の土蔵で会津焼き磁器の細工場として唯一の家屋。そこでは今もロクロをひいて瀬戸作りにセイを出している。
現在の当主である四代目佐竹富三氏は、日本原産の花椿をモチーフとして、全国的に熱心なファンをかかえている。 |
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| 富三窯参考ページ |
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