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| 染付瓢形徳利各種 | 原料土取場「大久保山」 |
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近世会津の焼きものは、文禄二年(1593)蒲生氏郷が会津若松城に葺く瓦焼きから始まります。次いで加藤嘉明氏時代に本郷で瓦が焼かれるようになり、会津松平藩祖の招きによって会津本郷に住した瀬戸の陶工水野源左衛門兄弟が、正保四年(1647)凍み割れしない赤瓦を開発した功績により、焼きもの棟梁である「瀬戸右衛門」の称号を賜りました。以来、藩用窯として、水野家を中心に領内外にむけた日用陶器と藩主御用の茶陶器を江戸末期まで製造してきました。
磁器の焼成は、寛政九年(1797)藩政改革の一環である産業振興策によって、本郷の陶工佐藤伊兵衛が磁器化の研鑽につとめ、「砕石手の磁器」を開発しましたが、完全なる白磁器の完成を見るのは文化十三年(1816)手代木幸右衛門によってでした。 会津藩は本郷を藩用本窯とし、領内の数ケ所に藩用窯を設け、磁器の増産を計って国内流通を増進しました。 戊辰戦争で本郷村は大打撃をうけましたが、明治四年、政府の助成金などによって民間の窯元が多く再興しました。この時期、良質な大久保土などが発見され、また、野出蕉雨などの絵師の陶画指導によって画風も一新され、藍色の冴えた「本郷青華」といわれる染付磁器が多く焼造されました。 陶器製造においても、伝統的な鰊鉢・甕・壺・擂鉢の日用陶器各種が焼造され、主に県内の需要を満たしてきました。 明治二十年代にはいると、新たに国内では電気用碍子の大量受注を受け、また欧米にはティーポット類が10万個単位で輸出されるなど、大正年間まで会津本郷焼は最盛期を迎えています。 昭和三十三年にはブリュッセルの万国博覧会で、民芸陶器として「にしん鉢」がグランプリ受賞に輝いて、国内外から「伝統工芸の会津本郷焼」が再注目され、現在約20軒の窯元が伝統を受け継いで窯煙を立ち上げています。 |
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